なぜ、今、日本でDXが議論されるのか 〜 注26

公開: 2021年4月26日

更新: 2021年5月17日

注26. 日米の人口構成の違い

第2次世界大戦は、1945年8月、日本の無条件降伏で終結した。ヨーロッパ戦線では、1945年5月にドイツの敗戦が決まり、夏には数多くの米軍兵士が米国社会へ帰還し始めていた。このため、多くの元兵士が帰国後結婚し、家庭を持ち、その結果、数多くの子供が生まれた。それが、米国社会のベビーブームである。米国社会のベビーブームは、日本に比べて数年早かった。

米国社会に少し遅れて、日本社会にもベビーブームが到来した。特に日本では、戦争で数多くの男性が命を落としたため、この戦後のベビーブームによって、人口爆発が起こり、日本の人口構成全体の中では、この世代の人々だけが突出して多くなった。これに対して、米国では、ベビーブーム世代が全体の人口構成に与える影響は、それほどではなかった。むしろ、米国では一度に帰国した帰還兵の処遇が問題になった。

米国政府は、戦争から帰還した元兵士に「教育クーポン」を配布して、無料で大学教育を受けられるようにした。この政策が成功して、米国社会では大量の高度人材を養成することに成功し、1950年代後半に始まった急激な米国の技術革新を支えた。しかし、その世代を引き継ぐことになった米国のベビーブーム世代は、1960年代に本格化したベトナム戦争で疲弊し、まだ、徴兵制をとっていた米国社会は停滞を始める結果となった。

これに対して日本では、1960年代後半から、ベビーブーム世代が社会へ進出し始めた。それは、米国社会の繁栄から10数年間ほど遅れていた。1980年代に入ると、日本社会ではベビーブーム世代が、社会の第一線で働くようになった。この時、米国社会をけん引してきた元帰還兵達の世代は、生産現場の第一線を離れ始めていた。技術の蓄積が個人に依存する度合いが高い米国社会では、彼らの退職と共に社会全体としての技術力の低下が始まっていた。

1980年代の後半になると、日本社会ではベビーブーム世代が生産現場の第一線で活躍するようになり、米国社会では元帰還兵世代に依存していた米国の生産力は減退した。この日米の経済をけん引する人々の間の、10年ほどのピークの時間差が、両国の経済発展の差を決定づけていたのである。1990年頃、米国では、生産人口の山は、20代になったベビーブーム世代の子供達の世代の人々に移ったが、まだ彼らは経験不足で、40代の日本のベビーブーム世代と互角に戦うことはできなかった。

これが1980年代の後期に始まり、1990年代の前半まで続いた、米国社会と日本社会の経済力の差を生じさせていた本当の原因であった。米国社会の市民も、日本社会の市民も、当時、この現実を正確に把握してはいなかった。

参考になる読み物

Managing times of turbulence, P. Drucker, Harper Business, 2006